戦争④
日本は何故、歯車が止まったか?
と、その前に、沖縄戦で生き残った住民のほとんどは、米軍が各地に設置した民間人収容所に入れられました。
1945年8月15日、アメリカ軍の占領下にあった沖縄では、軍政府の招集により住民代表者会議が民間人収容所で開催され、5日後の8月20日、軍政府の諮問機関として沖縄諮詢会が発足します。そこから戦後沖縄の住民による自治活動がスタートします。
しかし、1952年4月、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれることになり、アメリカ軍部が沖縄に設置した琉球列島米国民政府(USCAR)の下部組織として琉球政府が設立されました。当時私達は、琉球政府の中で生活を維持し周りの民間アパートには米国人夫婦がたくさんいました。当時の生活は、ドルで貧しいながらも、そこには幸せ(平和)がありました。そして日本復帰。
日本復帰で何が変わったか?何も変わりません。増加したのは、犯罪だけです。
この昭和の時代の中半期までは平和でした。問題は、そこからです。日本も昭和60年頃から突如、日本の歯車が狂い出したのです。
この当時、様々な集団による事件がありました。そこから1986年1月の千葉県船橋市の西船橋駅で起きたセクハラの誕生で女性や一部メディアは「性的ないやがらせ」だと指摘し、セクハラ議論の活性化につながっていった。そして徐々にパワハラ等も誕生させていくのです。
平成に入って、幼少年少女から高齢者までの事件の増加。昭和時代は、両親や先生方の仕付けが厳しく、両者共怖い存在で、悪い事をしたら怒られたり、叩かれたりした。でも当時の私達は、自身が悪い事をしている為に間違っても反抗せず反省の日々を送ったのです。さて現在ならどうでしょう?虐待になります。
しかし、それを虐待にして本当に正しいのか?寧ろ、その虐待がなくなった為に、現在は、親や先生方の仕付けがされなくて子供が強くなってしまった。今や子供達からの虐待を恐れ、親や先生方は逃げる一方である。
虐めに関しても、先生方には止める事が出来ない。何故なら、下手に注意をしたらやれ虐待だの、軽く叩けばやれ暴力だのと主婦達の避難を浴びるからだ。
現代のニュースを見てください。
先生方や○○官の不祥事が多いのも主婦達の批判を浴び、逃げ場がなくなりおこしてしまうのである。
実に悲しい世の中だ。この身勝手な
主婦達の傲慢な態度が歯車を狂わせているのだ。
しかし、もう手遅れだ。時は令和。
令和の子供達も平成の重荷を背負って行くからだ。この世を少しでも変えて平和な国にしたいのなら、法律改正案も政治家達だけでなく、一般国民に投げかけ質疑応答するべきである。
平和とは、戦争して勝ち取るものではない!日本の総理や政治家を含み一般全国民と手を繋ぎ、少しずつ構築して行くものである。
この世の掟とも言える「道」、道は常に2つである。天に対して地があり、空に対して海があり、善に対して悪があり、平和に対して戦争がある。
そうです。この世は少しおかしいですが、このようなバランス(調和)が、保たれ維持している。何が正しいのか?
それは誰にもわかりません。
ですからどちらか一方に傾けば、バランスを崩して崩壊します。が、しかし、これらを善に対して善に、平和に対して平和という、絶妙なバランスに変える事は絶対にできる。
それは、国次第だ。現状に満足せず、過去は過去で廃棄するのではなく、役立つものは何でも利用すると言う前向きな姿勢が大切である。
「過去の良物は甘し、現在の良物は苦し」である。だが、現状は、日本には無理でしょう。