ポークランチョンミートの日記

ポークランチョンミートです。横浜で家屋解体業務をしています。blogを始めました。

戦争③


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戦争③
日本人は、「目には目を歯には歯を」等と言う「ハンムラビ法典」の言葉の様な「やられたら、やり返す」見たいな事は排除すべきである。
 他国の方々は、日本は豊かな国だと話しているが、実際はそうではない。
確かに生活する上では、豊かかもしれない。しかし、内情(心)はどうだろう?
心は、貧しい。この世で大切な物は、バランス「調合」である。天秤の様な釣り合いの取れた心が大切な存在なのです。心は、傾いたら醜い、バランス「調和」が取れていれば、美しい。
 皆さん、体操選手のあん馬を知っていますか?華麗で非常に美しく、バランスの取れた姿、あれが、真の心なのです。戦争が起きれば、人は化物に変身し、他人を危害を加える事など平気で行う。そう、そこには心の存在がないのです。無心になる事は、生きていく上では多少必要な時もあります。
 でも必ずしも、危害を加えるのに無心になってはいけないのです。我に帰って下さい。そこには、あなたの侵した過ちや悪行が見えてくる筈です。
 「心、無にして闇となり
  心、有して光あり」です。
「どんなに時代が変わろうとも
どんなに法改正が変わろうとも
どんなに治安が悪くなろうとも
心だけは、変えてはならない」

私自身の言葉です。

長い長い人生、思う存分快楽を得るのも勝手、思う存分苦労するのも勝手。
ですが、絶対にその心だけは捨て去らないようにしてください。人間としての掟です。前述したとおり、平和は勝ち取る物ではなく、一人一人の心の集合体で構築して行く物です。
 一人の手が百人の手となり、百人の手が千人、万人の手となるのです。
頑張りましょう、永久なる活動を。
送りましょう、豊かな生活を。
築きましょう、平和な国を。
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仕事とは


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仕事とは。
仕事とは、率直に読めば仕えて事を成す。つまり、会社で働き、一日の目標一週間の目標、一年の目標をたて物事を達成するものだと、私は解釈しています。
 この仕事に関しては、色々な考え方や明言なども多数あります。
 私は、若い頃に営業でほぼ頂点に達し、次に土木の世界でもほぼ頂点に達しました。ほぼ頂点に達すると言う事は、どういう事か?それは、自身の限界線を何度も超える事なんですね。営業職土木職、すべての職と武道やスポーツにも通ずる事なんです。
 私は、営業職で販売実績を残し支店長まで上り詰めましたが、やはり、この時点では、自分自身に満足しきれなかった部分がありました。
 この当時、営業で私を奮い立たせたのは、一冊の雑誌でした。これまで漫画等は、子供の読物だとして自身から遠ざけていました。
 たまたま、通り道で古い書店でおばあちゃんが誇り払いをしていて、ウッカリ地面に落として仕舞いました。
 私は、それを見てサッと拾い上げると、そこに「火の玉ボーイ」と書かれて、主人公が目に火花を散らし、「ハングリー」と叫んでいるではないですか?これを、見た瞬間「これだ!」と思い、営業に取り入れました。
 翌日から売上がドンドン上がり、3ヶ月でトップになりました。これから3年間継続し、支店長になったのです。ハングリー、空腹と言う意味ですが、人間は、空腹の状態でとてつもない力が出せる物だと感じさせられました。
 それと同時に見ていたコマーシャルがあります。今見るとドリフが歌ったくだらないコマーシャルですが、これも私に勇気と希望を与えてくれました。
 それが、バスクリンです。
「やあって、やれない事はない♪
やらずにできる訳はない♪いつもお湯には、バスクーリン♪」
 おかしいですよね。でも、この「やあって、やれない事はない。
やらずにできる訳はない。」この部分に
漲る力をもらいました。
 そうです。何事も成し遂げないのに理屈だけ喚くな、と言う事なんです。これらを土台に土木の世界へ踏み込みました。そしたら、周りから「スーパーマン」と言う異名をもらい、「あいつは、化け物だ。今まであんな人は見たことない」等と、言われ続けました。そんな私が、後輩に語った言葉が「仕事は、頭で考えるものではない ! 脚で考えるのだ! 」と。
 人間誰しも壁にぶつかる。壁にぶつかると、そこで体は止まり、頭脳だけに頼る形を取る。それではダメなんですよ!先に頭脳で処理すると息詰る。
 そこで私がスーパーマンと呼ばれた理由は、先に頭脳で処理するのではなく、走りながら、或は体を動かしながら脳を引っ張り回すのです。つまり、何事も頭で考える前に、体を先に動かせと言う事です。これには、多少の訓練が必要です。最初からいきなりできる方はいません。これを私は、第5感+ α (第6感=慣性能力の法則)と言っています。とにかく、動きながら周囲の状況を常に把握して行けば自然と構想と閃きが出て来ます。後、自身の前に右腕を伸ばして人差指を立てて集中して見てください。その間に自身の左右に人を立たせ同時に手を振らせて下さい。
 いいですか、前だけに集中すれば、左右の動きを感じ取れません。ですから、力を分散するのではなく、脳の集中力をピラミッド形の3点に均等に分散するのです。それができるようになれば、素早く周囲の状況判断ができ、段取りも考える前に自然と体が先に動いている筈です。
 ここで私が言う第6感(慣性能力の法則)
とは、
 「幽体離脱非ず脳体離脱」である。難しいかもしれませんが自身の肉体的限界、精神的限界を一度や二度ではなく?何十回も
何百回いも乗り越えて初めて神髄を極めるのです。
後は、自身を信じる事です。常に「私はできる ! 私は若い!私は強い!私は早い!私は成功する ! 私は勝つ ! 」と、唱えて行動するのです。周りから批判を浴びても動じる事はない。言いたい方には言わせばいい。沖縄には「なーな」と言う方言がありますが、意味は、馴れ馴れしくなる事です。一旦、会社を出れば、そこは戦場です。周囲との交流も確かに大切です。しかし、それだけに染めると、自身は更に弱くなる。ケジメをキッチリ区分けする事が大事です。
 私も現在、普通の会社に勤務しています。しかし、決して諦めた訳ではありません。いつか必ず、ここを出て、「スーパーじいちゃん」と、呼ばれる様な存在感を残したいです。つまらない、くだらない文章ですが最後まで読んで頂きありがとうございました。

バランス


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バランス(調和)


 この世の道は、常に2つある。そう、この釣り合いの取れたこの世の掟、バランスである。

 地球に対し、昼は太陽、夜は月。

宇宙空間と海奥空間、空と海、天と地、山と火山、竜巻と渦巻き、天災と地災、火災と水災、台風と津波、生と死、善と悪、強者と弱者、病気と元気、左と右、前と後ろ、上と下等たくさんあります。

 これらが、自然界の掟なのです。そして両者共に釣り合いが取れバランスを維持しています。だから人間は、この掟に逆らうことも、攻撃や阻止などもできないのです。どんな物理学や科学等の応用を用いても勝てません。

 ただ、どれを見ても悪い事ばかり。

それを素直に受け止めるか反発するかは、その人の心のあり方なんです。

 反発すれば傍から醜く映し出され、素直に受け止めれば輝いて映し出してくるものです。これが「醜(しゅう)と美」でバランスが保持されています。天秤のように、バランスを取るにも善に対して善ならば良しとして、善に対して悪ならば、いずれは崩壊する。ですが、これだけは避けたくとも避けれないのが道なのである。

 この世の掟であり、運命だから素通りできないのです。なら、どうすればいいか?受け身で素直に迎え入れ、良面、悪面を同じ数量を削減すればいいのです。確かに良面を削減すれば、無駄やもったいない等と考えます。

 しかし、バランスを維持し平安を保持するには致し方ないのです。日本の政治家がいい見本です。良悪の政治家達でうまくバランスが保持されています。

 ただ、国家補正予算の決議案がおかしなやり方です。何を根拠に決定しているのか?わかりません。特に給付金なんて、一番おかしい。物価高騰で仕事をしている方の独身低所得者、また、年金暮らしの高齢者等の対応がない。確かに将来を担うお子様の為に給付金を出すのも一案ですが、必ずしもそれが正しいとは限りません。何でも感でも給付金を出せばいいと言う訳でもありません。

 こういう事から国民の一部から不平不満が生まれ、犯罪も生み出してしまうのである。金銭で満足し、心に裕福を感じ、薬物に手を染める、或は虐待をする等の行為を生み出してしまうのである。

 ですから、平等にです。妻帯者、独身者、高齢者、全て平等に給付する事です。この平等が、不平不満をなくし、平安を保持し、全ての犯罪減少に繋がるのです。

戦争⑥

戦争⑥

戦争とは、互いに自国の意志を相手国に強制するために、武力を用いて争うこと。だが、これだけが戦争ではない。国内にある虐待や犯罪等も国内戦争(日本戦争)と言えます。
 この様な虐待、暴力にはどのようなものがあるのでしょう。
 例えば、殴る、蹴るは勿論、投げ落とす、熱湯をかけるやけど、溺れさせる溺水、逆さ吊りにする、異物を飲ませる、食事を与えない、戸外にしめだす、一室に拘束する監禁、タバコの 火やアイロンを押し付ける火傷等の行為で上げたらきりがありません。
 考えただけでも、身震いします。
 次に、日本の裁判は、どうでしょう。正しいと思いますか?一部の方は、半信半疑の方々がいらっしゃると思います。よく、このようなニュースを目にします。「何十年もご主人から、暴力を振るわれて、先の経過を示す恐怖心から、ご主人を殺害した。その奥様は、逮捕され懲役5年。」おかしいです。ストーカー行為もそうです。確かに殺人を犯した事は、悪い。だが、何十年も被害を被り、苦しみ耐えてきたのです。それを国や○○官が、事前に阻止できますか?無理でしょう。今の日本の法律では。だから、指名手配犯罪者を逮捕出来ないのです。真実を極めるのではなく、ただ単に真実を浮上させているだけなのです。どんなに相談があっても鵜呑みにせず、事件が起きてから動く。また、そこに立ちはだかるのが、検察官と弁護士。
 彼等の調書で8割がた、決まるのです。ですから裁判官は、両者の意見から判断し、最終決断を下すのです。
 よって、極悪犯罪者が軽い刑や下手すれば無罪にだってなりうる訳です。
神でもないのに人が人を裁く訳ですから、仕方ありませんね。
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戦争⑤

戦争⑤

狂った世の中を変えるには、悪いことを直すのではなく、過去にタイムスリップすることである。
 一度狂ったものを再度修正するには
時間もかかり、このような悪い事は、人間の癖と同じくほぼ修正不可能に近いのです。平成後半からから令和にかけて、事故が増加しました。何故か?
横着な人間が増加したからです。
 元々、怠け者な日本人は、当たり前の事を当たり前に出来ないからです。
「忙しいからスピードを出した、忙しいから一時停止を無視した、忙しいから信号を無視した、忙しいから追い越しをした、忙しいから方向を変えずにバックした、忙しいから前車を煽った」
等、上げたら幾らでも出て来る。
 なら、忙しいから人を跳ねた?
 バカバカしい。日本人は、何かにつけて、第3者や周りの状況のせいにする。おかしいよ、自分自身が常に正しいのか?醜いよ、こういった自己中で傲慢で身勝手な行動が事故を呼び寄せるのです。「何故、私が」と、語る前に自身の姿を鏡で見なさい。何と醜い、情けない自身の姿が映像化されています。 
 こういった行動は、絶対に直せません。断言致します。「一度の罪は、二度の罪、二度の罪は死の罪」である。
 振り返りなさい。現状維持は、自身の首を絞めるだけです。
 「振り返りなさい、過去を。
見つめ直しなさい、過去の自身を。
呼び寄せなさい、過去の実態を。」
そうです。現状は、どんなに精神的、肉体的な強者でも修正は、ほぼ0に等しい。だから、今ではなく以前を透視するのです。すると、信じられない位に色々な出来事が浮上してきます。
 「こんなこともあった、あんなこともあった」と。それらを自身の肥やしにするのです。次第に道は開かれ、自身の力となり、自身の知恵となり、自身の光となるでしょう。これはたった一人の行動ではない、数十人、数百人、幾万人の気持ちが同一方向へ向かえば、平和になるでしょう。一人一人の気持ちが、生むのです。
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戦争④

戦争④

日本は何故、歯車が止まったか?
 と、その前に、沖縄戦で生き残った住民のほとんどは、米軍が各地に設置した民間人収容所に入れられました。
1945年8月15日、アメリカ軍の占領下にあった沖縄では、軍政府の招集により住民代表者会議が民間人収容所で開催され、5日後の8月20日、軍政府の諮問機関として沖縄諮詢会が発足します。そこから戦後沖縄の住民による自治活動がスタートします。
 しかし、1952年4月、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれることになり、アメリカ軍部が沖縄に設置した琉球列島米国民政府(USCAR)の下部組織として琉球政府が設立されました。当時私達は、琉球政府の中で生活を維持し周りの民間アパートには米国人夫婦がたくさんいました。当時の生活は、ドルで貧しいながらも、そこには幸せ(平和)がありました。そして日本復帰。
 日本復帰で何が変わったか?何も変わりません。増加したのは、犯罪だけです。
 この昭和の時代の中半期までは平和でした。問題は、そこからです。日本も昭和60年頃から突如、日本の歯車が狂い出したのです。
 この当時、様々な集団による事件がありました。そこから1986年1月の千葉県船橋市西船橋駅で起きたセクハラの誕生で女性や一部メディアは「性的ないやがらせ」だと指摘し、セクハラ議論の活性化につながっていった。そして徐々にパワハラ等も誕生させていくのです。
 平成に入って、幼少年少女から高齢者までの事件の増加。昭和時代は、両親や先生方の仕付けが厳しく、両者共怖い存在で、悪い事をしたら怒られたり、叩かれたりした。でも当時の私達は、自身が悪い事をしている為に間違っても反抗せず反省の日々を送ったのです。さて現在ならどうでしょう?虐待になります。
 しかし、それを虐待にして本当に正しいのか?寧ろ、その虐待がなくなった為に、現在は、親や先生方の仕付けがされなくて子供が強くなってしまった。今や子供達からの虐待を恐れ、親や先生方は逃げる一方である。
 虐めに関しても、先生方には止める事が出来ない。何故なら、下手に注意をしたらやれ虐待だの、軽く叩けばやれ暴力だのと主婦達の避難を浴びるからだ。
 現代のニュースを見てください。
 先生方や○○官の不祥事が多いのも主婦達の批判を浴び、逃げ場がなくなりおこしてしまうのである。
 実に悲しい世の中だ。この身勝手な
主婦達の傲慢な態度が歯車を狂わせているのだ。
 しかし、もう手遅れだ。時は令和。
令和の子供達も平成の重荷を背負って行くからだ。この世を少しでも変えて平和な国にしたいのなら、法律改正案も政治家達だけでなく、一般国民に投げかけ質疑応答するべきである。
 平和とは、戦争して勝ち取るものではない!日本の総理や政治家を含み一般全国民と手を繋ぎ、少しずつ構築して行くものである。
 この世の掟とも言える「道」、道は常に2つである。天に対して地があり、空に対して海があり、善に対して悪があり、平和に対して戦争がある。
 そうです。この世は少しおかしいですが、このようなバランス(調和)が、保たれ維持している。何が正しいのか?
それは誰にもわかりません。
 ですからどちらか一方に傾けば、バランスを崩して崩壊します。が、しかし、これらを善に対して善に、平和に対して平和という、絶妙なバランスに変える事は絶対にできる。
 それは、国次第だ。現状に満足せず、過去は過去で廃棄するのではなく、役立つものは何でも利用すると言う前向きな姿勢が大切である。
 「過去の良物は甘し、現在の良物は苦し」である。だが、現状は、日本には無理でしょう。
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戦争②


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戦争②

日本人は、私利私欲に目がくらみ、状況把握が出来ない。だから、一度奪い取ったものを奪われると、例え自分のものではなくても絶対に奪い返す。
 この先、日米間の交流の破綻が起きれば、沖縄はアメリカに占領される。すると、日本人は黙って引き下がらない。
 そして、日米戦勃発。
 俳句で例えれば、日本は
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス織田信長)」
米国は
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス豊臣秀吉)」ですね。
 
 ただ、現在の日本に目を付けているのが中国と朝鮮。

本来朝鮮は、各国の批判を浴びながらも日本との交流を望んでいた。しかし、日本は、これを拒否。従って、日本への砲撃を繰り返したのも、日本を狙った訳ではなく、もう一度、日本に朝鮮への目を向けさせたかった。今となっては遅い。
 中国との親善交流は始まったから。先程の日米戦が勃発したとしたら、最終期に入ったら中国朝鮮は、覆いかぶさる用に進撃して来るだろう。

つまり、中国朝鮮は

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス徳川家康)」。 です。

次回へつづく。